私はトイレが大好きです。
強いていうなら便所ーー『べんどころ』。
なくてはならない大きな存在なのに、片隅に追いやられてしまいがち。
だから今日は、トイレの存在を少しだけ強めるために、ちょこっとお付き合いくださいね。
『お手洗い』『化粧室』『厠(かわや)』『雪隠(せっちん)』『ご不浄』『憚り(はばかり)』『閑所(かんじょ)』『東司(とうす)』『手水場』『後架』etc…と、まあいろいろな呼び方がありますね。言葉の多さにびっくりです。街で見る『WC』は、さて何の略か?というと『Water Closet』なんですね。これは水洗トイレという意味です。
これだけ多くの名前を持っている場所は、家の中でもそうありません。人は用を足す場所を直接表現したくない。そんな心の表れなのかもしれません。
美しい『ベルばら』の世界では、かつて宮殿にはトイレがほぼなく、部屋や廊下の片隅でオマルを使って用を足し、召使いが庭に捨てていました。庭を散歩している途中では『ちょっと花摘みに、ホホホッ』と美しい薔薇の茂みで用を足すこともあったようです。
華やかで、美しい世界。
そして香り高く、、、。
けれど、用を足すという行為は、どこか曖昧で、外へ押し出されていました。
一方で、禅宗などでは、トイレはとても大切に扱われています。
隠す文化と、向き合う文化。同じ人の営みでも、その扱いは全く違います。
禅宗では、トイレは『東司(とうす)』と呼ばれます。そこは、ただ用を足すための場所ではありません。僧侶にとって『東司』は修行の一部。食べること、眠ることと同じように、生きる営みを整える大切な場とされています。用を足したあとは、必ず掃除をする。自分が使った場所を、次の人のために、元よりもきれいにして出る。汚れやすく、目を背けたけなる場所だからこそ、心のあり方がそのまま現れてしまう。禅では、そう考えられてきました。特別なことはしていません。
ただ、生きることから目をそらさない。
それだけーーー。
その静けさは、やがて、
暮らしの美意識へと流れていきます。
茶の湯では、茶室へと続く露地の内側に『砂雪隠(すなせっちん)』という、使用しない飾り目的の便所が設けられることがあります。
それは『ここまで綺麗にしていますよ。』『おもてなししていますよ。』という、ささやかな演出です。
禅宗や茶道が、心のあり方としてトイレを大切にしてきたとすれば、風水は気の流れを見ます。トイレは悪い気が溜まりやすい『不浄の場所』『厄を落とす場所』として考えられ、清潔・換気・明るさを保つように心がけます。
禅が『自分の行いを整える』のだとしたら、風水は『場の流れを整える』そして茶道は『気持ちを整える』知恵なのかもしれません。
これらの話をした後で、じゃあどうすればいいの??となりますが、要は『いつもキレイに整えろ』ということになりますね。
私がいつも心がけていることは、
・ゴミは溜めない
・トイレットペーパーやサニタリー用品は切らさない
・便器や手洗い場は綺麗に、埃は気が付いたら拭く
・マットやタオルはこまめに洗う
そして、、『男性は座って用を足す』これ、かなり掃除の頻度が減り、壁も床もシミつきません。立ってするなら掃除しろ!と言いたいくらい汚れます。
今更ムリッ!なら、せめてマットを敷いてこまめに洗いましょう。床がアンモニアや水滴で傷みます。
まだまだ話はつきませんが、そう、私はトイレに関する話が大好きなのです。
子供が小さかった頃の工夫や、今の工夫は順番にお話しますね。
おつきあいどうもありがとう。

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